2004-01
昨年末、オープンソース企業グッデイを率いる前田青也氏の招きで、私は大阪(日本)で行われた関西オープンソース+フリーウェアに出席した。日本のオープンソース運動を実質的にリードしているグッデイは、このカンファレンスのスポンサーのひとつであった。さらに前田氏は私をカンファレンスに出席させてくれた。オープンソース・ソフトウェアのために大阪と日本で行われている膨大で興味深い仕事について見聞きし、レポートすることを許してくれた前田氏とグッデイの人々に感謝したい。レポートが遅れてしまったかもしれないが、それはカンファレンスの観衆と参加者から提起された話題の重要性によるものである。その中には非公式な開発者コミュニティのメンバーも、サン・マイクロシステムズ、パナソニック、その他内外企業の社員も含まれる。4日間の滞在ではあったが、私は日本語N-Lプロジェクトを率いるMaho Nakata氏と旧交をあたため、その他の日本版OpenOffice.orgチームメンバーと会えたことがうれしかった。彼らは日本のオープンソース・コミュニティの中で、OpenOffice.orgを重要でパワフルな勢力にしてくれている。
カンファレンスでは技術的なディスカッションとオープンソースに関する概括的なパネル・ディスカッションの両方が行われた。さらに多数の展示が大阪産業創造館のフロアを埋め、そこではOpenOffice.orgの展示も多く見受けられ、人気もあった。いや実際、展示企画の人手の多さと、それが前回よりなお増加しているという話に私は驚いた。オープンソース・ソフトウェアの開発と活用は日本で伸び続けている。OpenOffice.orgはその先兵であり、この成長の意味するところは深く、まだ十分に検討されていない。この説明もこの成長に対してふさわしいものであるとは言い難いが、読者に対して日本のオープンソース・ソフトウェア開発に関わってゆくことの重要性を気づかせることを望んでいる。
カンファレンスは、もちろん、日本語だった。残念ながら私には話すことも、読み書きすることもできない。Kazunari Hirano(Khirano)氏のお世話になった。氏はすばらしい通訳となっただけでなく、旅行の手配を助けてくれたYasuaki Yamamoto氏と一緒に、ガイドも務めてくれた。Khirano(彼のハンドルネーム)とYamamoto氏に感謝したい。
第一日目に、私は前田青也氏とのパネルに招かれていた。これはオープンソース・デスクトップ、つまり完全にオープンソースのアプリケーションとOSだけから成るデスクトップ環境についてのものだった。提起された問題は興味深いもので、完全なオープンソースの汎用デスクトップが登場することの実用的な意味と、政治的な意味の両方に触れるものだった。ある見方からすると、新しいことは何もない。我々の多くは毎日、そんなシステムをもう使っている。Mozilla、OpenOffice.org、Evolution、Gimpなどなど。オープンソース・デスクトップ・アプリケーションは多数存在し、毎日増加している。いまや明らかに、能率よく仕事をやってのける(ウイルスやワームもほとんどいない)し、Windowsや他の商用システムのユーザーともやりとりができる。さらに、実際に興味を持ったプログラマーの一団によって、それらは提供され改良される。給料のために働くのではなく、よいソフトウェアが美的な、論理的な、あるいはエンドユーザーが現に欲しがっている、ニーズを満たすからという理由で、少しばかり働きたいと思っている人々である。
その結果、それらのアプリケーションは頑健で安全なだけでなく、使いやすくもなった。オープンソース・ソフトウェアはうるさい連中の使う物に過ぎなかった日々は過去のものとなった。いまやオープンソースは社会的・経済的成功の旗印である。それは何百万もの人々と、ますます多くの政府が自ら選んで使うものであり、独占的な圧力によって押しつけられるものではない。事は経済に止まらない。公的なやりとりにMicrosoft[社製品]を使う政府は、国民にMicrosoft Officeを買うか、手に入れるかせよと強いることになる。PDFを使えば、フリーのリーダソフトがあるとはいえ、国民はそのファイルに対してできることはほとんどないという明確な制約に直面する(基本的に、PDFを印刷することはできる)。市民はコントロールと発展にいっさい口を挟めないアプリケーションを使って、政府とやりとりするしかない立場に置かれる。企業は例えば、昔タダだったアプリケーションから金を取るかも知れない。突然廃業して、ユーザーたちを置き去りにするかも知れない。オープンソース、特にOpenOffice.orgは、デスクトップ・アプリケーションの鍵を握るものとして、発言するチャンスを国民に与えるが、商用システムはこの[ユーザーに影響力を持たせる]ことを保留する。この日、後のプレゼンテーションで私が論じたように、国の生み出した情報が、商用アプリケーションの慈悲を頼りにすることは避けねばならない。
となれば、前田氏が議長を務めたオープンソース・デスクトップに関するパネルがあんなに盛況だったのも驚くべきことではない。前田氏はオープンソース・ソフトウェアが最後には既存の競合する商用ソフトウェアより優れたものになる可能性だけでなく、それが現実性を持つことを強調した。現時点での費用を節約できるだけではなく、未来の費用も節約できるのだと。グッデイのパッケージは、OpenOffice.org、オープンソースの電子メールクライアント&ニュースリーダSylpheedなどを含み、彼の会社に利益をもたらすはずである。サポートは有償で提供される。
OpenOffice.orgは、この[前田氏らの]努力のために決定的に重要である。Maho Nakata氏に率いられ、[今回]わかったことだが、グッデイに属する多くのスタッフに助けられている日本語化プロジェクトは、OpenOffice.orgを作り上げ、日本語を使う人々に[オープンソースソフトウェアが商用ソフトウェアを凌駕することの]実現を約束しているのである。
この素敵で、便利で、無料の(修正も自由な)日本語オフィス・スートの恩恵は日本の国境を越え、従来 オープンソース・コミュニティと考えられてきたものも遙かに越えて広がっている。オープンソース・コミュニティに対し日本では、他国でも次第にそうなっているが、政府の支援と拠出が行われている。政府の支援こそ、実際、日本を経済大国にすることに役立ったのである。OpenOffice.orgを含むオープンソース・パッケージのための作業は、日本政府の補助金によって可能となった部分が大きい。だからこそ、見習うべきモデルとなるのである。政府の補助金は、サン・マイクロシステムズのTakaaki Higuchi氏とのディスカッションで知ったのだが、私企業によるオープンソース・アプリケーション開発にも与えられた。成果物であるアプリケーションのライセンスはオープンソースになる。政府の資金をオープンソースの価値ある努力に提供するのは、明らかにパワフルなモデルである。それは独占力が小企業を圧倒しないよう市場の平衡を保ちながら、私的な投資を促すからである。
日本の地方自治体、あるいは日本政府が大規模にOpenOffice.orgを使い始めたとしよう(これは、単なる可能性でなく、非常に現実味のある話だ)。間接的に、地方自治体はその地域のビジネス環境を決定するのを助ける。地方自治体がOpenOffice.orgを使えば、小さく力の弱い企業もそれを使うよう微妙なプレッシャーを受ける。確かに、OpenOffice.orgはMicrosoft Office形式でファイルを保存できるし、デフォルト(既定の設定)でそうするようにもできる。しかし、なぜわざわざそんなことをするのか? そんなことをすればエラーの危険は増し、根本的に時代遅れのシステムを延命させる結果になるのに? どうせなら、取引に携わるものすべてが同じ、オープンで自由に利用できる基準に従うよう呼びかけないのか?
OpenOffice.orgがもたらす違いは、その自由でオープンな性質にある。それを使うことは経済的損失ではない。むしろ、現在と将来の費用を節約することなのである。
カンファレンスの合間に、我々-私と日本語N-Lグループ-はさらに進んだローカライズ版、特に日本版のための戦略と方針について話し合った。オープンソースソフトウェア(OSS)開発の良いところは、意志決定が速いことだ。一般的なイメージでは、OSSは企業の生産管理者の要求を尊重する必要がないから、開発者が作りたいと思うものが作れる。もちろん現実はもっと複雑である。ApacheやGnomeなどのプロジェクトは、非常に組織立ったものである。しかし、OpenOffice.orgが昔から伝統的なOSSモデルと違っていたのは、我々がOpenOffice.orgだと考えるコアプロダクトと実質的に並行して、それを中心にしたStarOffice(StarSuite)が派生することである。
しかし、昨年、OpenOffice.orgを作成するにあたり、論理的にも実務的にも大きな変化があった。もっとも重要な点はローカライズ版を作成し、検証し、配布する手続きを、簡略化しようとした点である。この作業は容易ではなく、多くのグループ、特にQAプロジェクト(http://qa.openoffice.org/)の協力を必要とした。
簡略化・明確化の過程は今も続いている。例えば、ローカライズ版がどう作られるかという点について、やや混乱があった。もともと、サン・マイクロシステムズがStarOfficeでサポートしている言語については、ローカライゼーションはサン・マイクロシステムズがOpenOffice.orgへの貢献として引き受けていた。こうしたローカライズ版の検証は最低限のもので、広範囲の配布に適することを保証するのは、もっぱらQAプロジェクトとその言語ネイティブの協力者たちが力を合わせる、高度で網羅的なプロジェクトであった。
次第に言語ネイティブ(N-L)グループは、特定のローカライズ版のために必要な種々の処理を推進できるようになった。これは論理的で、実に建設的なステップであり、日本語N-Lグループとの幾度かの会合(特に、ある非常に楽しいディナー)で、そうした活動が可能になることの論理と、それが意味することを検討 した。
エンドユーザが求めるローカライズ版をつくる、というのがアイデアである。当然、OpenOffice.orgの名のもとに公開・配布されるローカライズ版は、すべてQAプロジェクトの基準を満たさねばならない。別立てのローカライズ版もあってはならない-間違いなく混乱を招くだろう。しかし、ローカライズのための変更は、多くの場合、コア部分のソースに影響しない。もっと実質的な変更は当然、関係する技術プロジェクトの審査を経なければならない。日本語の場合、固有のフォントクラスを持ち、他言語より根本的に複雑な問題が提起されるため、満足のいくオープンソース・ローカライズ版を開発することは特に難しい。(私が聞かされたところでは、オープンソースを受け入れる鍵となっている障害は、優れたオープンソースフォントと、言葉を表現するシステム[訳注:日本語入力システムのことか]の欠如である。最も優れたものは商用版である。フォントデザインは職人の作るものであり、良いフォントと日本語入力システムは芸術作品に近い。幸い、オープンソースの競合品も存在し、開発が続けられている)
しかし、例えば、ソースレベルでの重要な点で機能上の解決を見た新版ができたら、どうしよう? この試みは審査を通ったソリューションではない。とりあえずの解決である。この場合、エンドユーザーはもっといいコードが同時進行で完成したあとも、そのアプリケーションを手に入れてしまうかもしれない。エンドユーザーはベータ版を渡されたようなものである。十分な出来だが最終版ではない。こうした論理が、初期のローカライズ版配布を支配していた。いまやいくつかのケースでは、完成版ではないが使用可能なもの(プレビュー版と呼んでおこう)を供給することに意味がある。それでもこうしたプレビュー版は最終版とは区別する必要があるのだが。
カンファレンスを終えるディナーの席上、私はサイン入りのデベロッパーズセレクション版CD-ROMをプレゼントされた。その中には日本語プロジェクトの手になるOpenOffice.org 1.1.0(OpenOffice.org 1.1.0-ja)が含まれていた。ここで私は、私が読めるサインを挙げて謝意を表したい。
そして、私が名前を書き漏らしてしまった多くの人たち。さらにSylpheedの開発リーダーであるHiroyuki Yamamoto氏にも。前田氏はじめすべての人々の努力が関西オープンソース+フリーウェアを成功させ、楽しいものにしてくれた。
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